地域貢献レポート

東日本大震災支援~2週間で7往復 -物資と送り主の思いを乗せて-

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震によりお亡くなりになられた方々には 心からお悔やみを申し上げます。また、被災された方々には謹んでお見舞いを申し上げます。

㈱ナイスキャリーサービスは、この地震により被災された方々の救援および被災地の復興のために、義援金および、被災地で今不足している物資の輸送などの支援を行うことを決定いたしました。

この地震による被災者の救済および被災地の復興に役立てていただくため私たちと皆様の想いも一緒に被災地の一日も早い復興を心より祈念するとともに、全力を挙げて支援してまいります。

◆物流ウィークリー 2011年(平成23年)4月4日号

上記新聞の内容(原文そのまま)

2週間で7往復 -物資と送り主の思いを乗せて-

仙台市宮城野区までトラックで支援物資をピストン輸送しているナイスキャリーサービス(愛知県小牧市)の猪上章社長。震災発生から2週間ですでに7往復。取材したこの日も絵本やクレヨンなど子どもの心を癒すための物資を運んで現地に出発していった。
本来なら、同社にとって3月のこの時期は引越しシーズンのかき入れ時。しかし「被災した人は今、どんな気持ちでいるのかと思うと放っておけなかった」(猪上社長)と体が勝手に被災地に向かった。会社からも「あとは我々に任せて思うようにやってください」と背中を押してもらった。

-被災地の姿言葉を失う-

自身の定期預金400万円を解約し、ポータブル発電機や水120ケース、カイロ、生理用品、ほ乳びん、粉ミルクなど、思いついた生活必需品を買い込み2tトラックに積み込んだ。そして弟の智さんと交代しながらハンドルを握り続けること18時間。ようやく到着した仙台の惨状に言葉を失った。
道路は何とか通行できたが周囲はがれきの山。焼け焦げたような悪臭とともにたくさんのカラスが上空をとんでいた。また、テレビなどでは避難所の映像を目にすることが多いが、かろうじて家が残った人は自宅で生活している。そういった人たちは後ろめたさから避難所に物資をもらいに行けず困っていることも知ったという。「自治体の指示を待っていると動きが遅くなる。それまでのつなぎとして非常時での民間の運送会社のネットワーク化は必要なのではないか」と真剣に話す。
4回目の輸送から愛知に帰ってきたとき、毎年老人施設にカレンダーのプレゼントをともに行っているボランティア仲間から「実際に現地を見てきた感想を述べてほしい」と、名古屋市内のNPOや大学サークルのメンバーら40人が集まる勉強会での講演を頼まれた。講演後に「自分も被災地でボランティアがしたいが、どうすればいいか」という質問を受けた猪上社長は、「本気で考えているなら、もっと具体的な質問をするだろう。交通手段がないというのなら俺が現地まで乗せて行ってやる。口で言うだけなら、ただの偽善者だ」と、意識のズレに涙が出る思いでそう答えた。
帰り際、その場に同席していた地方紙の記者に呼び止められ、同社の活動が翌日の紙面で紹介された。「売名はしたくない」と断ったが、記者からは「あなたの行動が載ることで物資の送り方が分からず困っている人の役に立つ」と説得された。

-積み込んでとんぼ返り-

震災発生から2週間で7往復。現地では、防災センターとやりとりし、物資を届けた際に必要な物資を聞く。その場で会社に伝え、戻るまでに用意してもらい積み込むと仙台へとんぼ返りする。車中泊が中心だ。また、社長の思いに共感した講演会の出席者一人を被災地まで乗せた。現在は、同じピアノ輸送の仲間で九州から関東まで荷物を載せ替えながら走る、タスキリレー体制も整いつつあるという。
取材した3月24日も、娘が通う幼稚園の父母会に呼びかけて集めた絵本やクレヨンが段ボール50箱分、さらに中国の友人から届けられたマスク100万枚を2tトラックに積み込んでいた。そのどれもが被災者への励ましのメッセージ入りだ。
物資だけでなく送り主の思いも乗せて、猪上社長は再び被災地に向けてハンドルを握る。

◆中日新聞 2011年(平成23年)3月21日(月曜日)版24ページ 【承諾番号】20110322-9448

上記新聞の内容(原文そのまま)

仙台に物資4往復 - 小牧の運送業者、被災地支援 –

東日本大震災の被災地、仙台までトラックで支援物資をピストン輸送しているピアノ運送業者が、愛知県小牧市にいる。本来なら、引っ越しシーズンの今はかき入れ時だが 「今日食べられない人がいると思うと放っておけない」と車中泊を重ねすでに四往復した。
ナイスキャリーサービスの猪上章社長(四一)。震災二日後の十三日、水やトイレットペーパー、ティッシュを積み込んだ2tトラックで出発し、弟の智さん(三九)と交代でハンドルを握り続けること、十八時間。到着した仙台の惨状に言葉を失った。現地では、物資を届けたついでに必要な物資を聞く。その場で会社に伝え、愛知県に戻るまでに用意してもらい、積み込むと仙台へとんぼ返りする。
「この目で現地を見てしまうと、とても人ごととは思えない」と猪上さん。二十一日、被災地に向けて再びハンドルを握る。

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